踊り場

腐女子が書いた怪文書をちぎっては投げちぎっては投げ

筋肉少女帯と「『少年』と『少女』」の話

わたしは筋肉少女帯が好きです。

筋肉少女帯が人気があった頃はまだ自分から音楽を聴くような歳ではなかったので、完全に後追いですが。その当時どんな層から人気があったのか、どんな受け方をしていたのか、など、インターネットの人々の懐古の記録を読んですこしだけ雰囲気を感じるのがやっとです。

さて、最近なぜか、以前に比べてPC配慮や男女差別についての言説を目にする機会が増えました。社会的な動きなのか、それとも偶然なのかはわかりませんが。

オーケンの書いた曲をよくよく聞いてみると、かなり男女差別的な雰囲気が強く感じられます。例えば、「香菜、頭をよくしてあげよう」なんかは、そのまんま受け取るとわりととんでもないことを言っていたりします。

しかし、わたしはオーケンの書くちょっと馬鹿な女の子に対して、怒りをおぼえることはできません。

なぜなら、オーケンの書く男の子像がそんな女の子ばっかり妄想していそうな「キャラクター」だから。

たとえば、「蜘蛛の糸」なんか、いかにも友達のいない、自意識の肥大した、鬱屈した精神を押し込めている男の子と言った雰囲気です。こんな男の子が想像する女の子だったらそりゃ馬鹿で、恋のことしか考えていなくて、かわいくて、かわいいだけの女の子で、たまにちょっとそれっぽいことを言ってくれる、理解してくれる、自分を崇拝してくれて、自分に合わせて変わってくれようとする。そうだろうなあと思います。友達がいないから、女の子ともあんまり話せないし、たまに話してくれる人も自分以外と遊んでるときのほうが楽しそう。

こういう男の子のなかには男女差別の意識なんてとても入りこめっこないでしょう。そんなものあるほうがリアリティにかける、いや、男尊女卑というより、女尊男卑的な意識、自分より周りのほうが、この場合は女性の方が強い意識がある。しかし女の子より強くて女の子にあこがれられるような、そんな男の子になりたい。自分が今より強くなることはできないから、女の子に弱くなってもらわなければならない。そんな気持ちで思い描いた理想の女の子。

そんなストーリーを思い浮かべてしまうから、「君よ!俺で変われ!」なんて上から目線100%なことを言われても、全然むかつかない。はいはい、そうですね、みたいな気持ちになる。散々こういう妄想をしてからオーケンのエッセイを読んで、モテモテじゃん!!!と絶叫したことはおいておきましょう。オーケンの「少年」と「少女」は、「少女」が常に「少年」の理想で、架空の存在だからこそ美しい恋愛をするのだと思います。そういう、完全に理想でしかない、言い換えるとあり得ないからこそ、惹かれているのだと思う。

こんな風に言ったら怒られちゃうのかなあ。でもわたしはとにかく筋少が大好きです。散々男女差別やPC配慮の話やそれに関するニュースなどを読んできたわたしは、筋少が大好きです。