踊り場

腐女子が書いた怪文書をちぎっては投げちぎっては投げ

インターネットがこわい話

インターネットのこわい話ではありません。

インターネットがこわい話です。
 
といっても、なにかこわいことがあったわけではありません。これまで十年強のインターネット歴の中で一度も炎上したこともなければバズったこともなく、ツイッターのフォロー/フォロワー数の極端な偏りもないし、六年くらいツイッターやってるのにも関わらずクソリプを頂戴したこともさほどなく、つまり、非常に平和なインターネット人生を送っています。でもこわい。なぜ怖いのかというと、たぶん親や先生によるネットリテラシーの教育の成功(失敗とも言える、なぜなら、くわしくはあとでまた言及しますが、この感覚は古くなりつつあるから)の賜物でしょう。
 
なにが怖いのか。具体的に言うと、炎上からの特定です。それによって、インターネット上の世界が現実世界を侵食してしまうこと。
 
インターネット歴がそこそこあるということは、いわゆる炎上案件もそこそこ見てきたということで、炎上案件というか冤罪でしかない、あるいはみんなやってるようなことだけどたまたま目をつけられたがために祭り上げられて炎上してしまったという案件もそこそこの数目にしてきたということです。
それから、人は運悪く炎上した時(ある程度は予防可能なので運一つで炎上するわけではないですが、運が影響する側面が多いのでこういう言い方をします)、どうにかするとさらに悪いことに、特定されたりします。ネット上に自分が出した情報から、家や名前やその他いろいろな個人情報を抜き出され、晒されるわけです。つまり、インターネット世界でのあれこれが現実世界に繋がり、現実の不利益を被る可能性が高まる。
 
インターネット上にできるだけ個人情報を出さないようにする、というのは、運が悪かったときのための自衛手段です。転ばぬ先の杖。ほんとうに僅かな情報だけで特定される可能性もあるので、100%の予防策ではなく、ただの気休めではあるけどな!
が気休め程度でも対策しておくことは大事だと思う、自分の将来や現実生活をインターネットから守るために。
 
 
などというのは、わたしの考えです。
が、この間はっと気が付きました。これはもしかしてもう古い考えなのではないか!?
 
 
いまはフェイスブックに本名学校顔写真を載せるのは当たり前だし、ツイッターでだって顔写真を載せるのは当たり前。
メディアとしてのインターネットの発展とともに、ネット世界と現実世界の境界線が曖昧になりつつある。
 
インターネットでの就活や旅行なんかの申し込みが当たり前になってきていて、つまり以前は現実生活で顔と顔を合わせ、あるいは電話を使って声で、または住所を使って郵便でやりとりしていたことをすべてインターネット上で済ますことが可能になってきています。それと同時に、インターネットは現実世界とのつながりを強固にしてきていて、徐々にその2つの境界は消え失せつつあるのだと思う。
だから、現実世界で顔や名前を出すのが当たり前(顔や名前を必死で隠していたら怪しまれるし、変な人だと思われるし、もはや忍者か!?と言われるでしょう)という価値観が、インターネット上でも共有されるようになってきているのでしょう。
 
ネットと現実のボーダーがない世界になりつつあるのは確かです。
わたしもこれから、インターネットと現実の境界がほぼゼロになる世界を生きるでしょう。
 
ですが、それはそれとして、インターネットがこわい。好きだけど、好きだから、こわい!
インターネットのこわさが失われたわけではなく、それは常にそこにあり、それどころかネットを使う単純な人数の増加、年齢層の広がりによって脅威を増してる可能性すらあるのに、いままで後生大事につけてきた仮面と仮名を脱ぎ捨てられるわけがない!こわいもん!
 
 
という最近のインターネットに順応できない話でした。なにごととも付き合っていくのは難しいことだね!